大学での研究から現在に至るまでのエピソード
前の記事からの継続。自己紹介がてらに記します。
■当時はギガという単位が斬新だった
3名の共同研究で、ミリ波開口面アンテナ(150GHz/波長2ミリ)の卒論を書いた。研究のポイントは、メインディッシュの周辺部で電波の密度が高くなるようにサブディッシュとメインディッシュの形状を修正し、比較実験で検証すること。基礎理論を学ぶのが夏まで。この形状の計算と製作が秋まで。研磨はニコンを退職した技師に依頼する。同時に、松下通信からいただいたクライストロン発振器からの出力を増幅するためのマイクロストリップ回路の設計。当然理論どうりにはいかないのでトリマーだらけのカット&トライ。
研究棟の屋上。100メートル離して送信アンテナと受信アンテナをセッティングし、軸合わせが終わると12月。それから1月末まで朝から晩まで連日の実験。新宿の高層ビルの向こうの富士山に日が沈んでから、研究室に降りる。まずすることは、水道の水で手を温めること。(それだけ身体が冷えている) 徐々に室温にならしてから、データの整理。 大学には大型電算機もあったが、沖電気からいただいたif800という、ラインプリンタと一体化した8ビットマシンを活用した。CPM上のPL/IやFortranプログラムをEDLINやWordStarで書くか、Basicのインタプリタを使って書いたプログラムをコンパイルして使っていた。5インチのフロッピーと8色のモニターが目新しかった頃だ。
■3人で書きあげた卒論。私は教授の審査をうけなかった。
大学2年の夏、研究は好きだが、将来はもっと人間味のある仕事につきたいと考え始めた。当時家庭教師をしており、教えることも好きだったので、教員を目指そうと考えた。
電子通信学科は教職課程に全く対応していない学科だったので、数学ならば数学科など、理科ならば科目に応じて他の学科にと、教科に関わる科目を取っていかなければいけない。その他に離れた教育学部に教職に関わる科目を受けに行く。数学の方が必要単位数が少なかったので、32単位を数学科で取った。大学4年を終える時点で、卒業に必要な単位は全て取れており、数学の免許を取得するには最後の教育実習を残すのみ。大学院に進む気はなかったので、選んだ道は、卒論の1単位を落として学校に留まることだった。
■大学5年目の計算違い
大学5年になり、教育実習だけ。教員採用試験の準備はいくらでもできる。。はずであった。
研究室の教授から、「院生と同じ扱いだから4年生を指導しながら、一緒に卒論を書きなさい」。ガーン!!
この年の卒論のテーマは、「SPS計画の受信アンテナの研究」。SPS計画とはソーラー・パワー・サテライト計画の略であり、エネルギー不足に対応するために、宇宙空間に巨大な太陽光発電機を設置し、電波伝搬でエネルギーを地上に送るというもの。その電波を地上で受け止めるアンテナ群を研究するという、ロマンにあふれたテーマ。
■ここでOKしてしまったのが、計算違い。採用試験の準備など全くできなかった。
扱う電波は、2.45GHz。電子レンジの周波数。マグネトロンという発振機から空気口のような導波管を経た電波が数メートル先の長さ12ミリのダイポールアンテナ群で吸収され、エネルギーを伝搬する。電波吸収材を敷き詰めた実験室で行ったので、安全性などタカをくくっていた。後で考えると恐ろしい。導波管からの電波送信では指向性は低く、電子レンジを開けっぱなしで回しているようなものだ。前年度の屋外の寒い実験よりは、確かに暖かかった(?)。ダイポールアンテナには、秋葉原で様々な抵抗を買ってきて、その長さを調整して使っていた。
幸い、採用試験には合格し、秋には母校に教育実習に行った。後輩の生徒には、将来やりたい事を考えて学部学科を決めるようにとアドバイスした。なんと、今の総合学科でも同じことを言っている。
確かに高校時代から数学や理科は好きで得意でもあった。特に数学は「モノグラフ」という自習書を読みふけり、受験数学を上から俯瞰したような気でいた。ただ科目が好きだっただけで、当時注目を集めていた学科を選んでしまった訳だ。第2希望の数学科に入っていれば、教員になるために1年を無駄にしなくて済んだはずだ。
■後悔はしていない。軌道を修正する中で修行ができたのだから。
私の人生では、意図的に、無駄と思える遠回りを選択している。順調に進むのは嫌で、修行と思って、時間やお金を費やす方に進むことが多い。学校が忙しくてもデジハリに通うのも同じこと。少し高めのハードルを用意して、その攻略を楽しむのが、私の自己実現の形なのかな。様々な寄り道をしていると、自然に「引き出し」が増え、これが教員として役にたっている。
■で、私の思う総合学科とは
人間、具体的な目標を持ったほうが行動しやすい。抽象的な勉強や架空の議論も大切だが、実体験をして、それを元に考えたり、話し合ったり、発表したりと、生徒にとって低めのハードルを多数用意しておく。このハードルを用意する加減は各学校で違うのだろうが、自分で課題を見つけ、解決していくトレーニングを繰り返えす。普通科目だけでなく、各自の進路実現を適える科目を配置できるから可能なのだろう。受験科目中心の最短コースを選ぶならば普通科に進めばよい。もちろん、自分で敷かれたレール以外のことを学べるならば普通科でよい。
学問的にもひ弱な大学生が多いと感じる。総合学科では、将来につながる科目を高校時代に多く学んで、根を広く張って幹が太い人間に育ってもらいたい。
■最後に教員免許について
取れない学科で教員免許を取ったので、「数学の教員免許」を取得するだけの勉強量を体感している。
「情報の教員免許」については、15日間の講習会でカリキュラムを示されて以来、同等の時間と勉強量を重ねてきたつもりだ。もちろん、大学の4年間、情報を専門に学んできた学生にはかなわないが。
しかし、まだ漏らしている分野・内容は山積み。「情報の免許を持っています」と胸を張って言えるのはいつのことだろう。
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